崇泰院

【崇泰院(そうたいいん)】《知恩院塔頭》
 親鸞上人は1262(弘長2)11月、90歳でなくなり、鳥部野の延仁寺で火葬後、遺骨は大谷に埋葬されたが、1272年、この地に改葬され、末娘の覚信尼(かくしんに)が廟堂を建てて大谷影堂と称した。これが本願寺の発祥とされる。慶長8年(1603)知恩院の拡張に際し、徳川家康の計らいでこれを廃し、上人の遺骨は東西両本願寺に分け、現在の東大谷廟と西大谷廟がつくられたが、なお旧地は元大谷と称した。
 ちなみに廟所跡の右にある枯れた老杉は「親鸞逆さ杉」といい、上人が逆さに突き立てた杉の杖が根を下ろしたものといわれ、本堂背後にはまた「蓮如上人産湯の井戸」とつたえる井戸がある。