三室戸寺の蓮が見頃です。
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京都の「新選組ゆかりの地」を挙げてみました。全て拝観するとことは出来ませんが、お客様の興味・お時間にあわせて、プランを設定いたします。【観光見所エリア別】
壬生寺
新撰組隊士の砲術や剣術の場所。境内右手には局長の近藤勇の銅像と遺髪塔、八木邸で暗殺された初代局長の芹沢鴨と平山五郎の墓や隊士の合祀墓である壬生塚がある。
八木邸
新選組発祥の地として有名。近藤勇、土方歳三、芹沢鴨ら13名が宿舎とした。文久3年9月16日初代局長芹沢鴨粛清の場としても有名で、邸内には芹沢がつまづいた文机、斬りつけられた鴨居の刀傷などが今でもはっきり残る。
旧前川邸
隊兵が増え八木邸が手狭になったため新たに屯所を設けたのが旧前川邸。現在も当時に近いままの姿を残しており、拷問が行われた蔵や山南敬助、野口健司が切腹した部屋などがある。非公開。
光縁寺
新選組副長の山南敬介始め、隊士が埋葬されている墓がある。時の光縁寺の門前に新選組の馬小屋があったことから、隊士との親交があったという。副長山南敬介は切腹後光縁寺に埋葬された。
池田屋跡
元治元年6月5日夜、近藤勇率いる新選組が、池田屋2階で陰謀を企てる尊攘倒幕派の志士30数名を襲撃したのが池田屋事件。この戦いで志士側は長州、土佐、肥後の大物志士達が死亡する。石碑のみが残る。
金戒光明寺
会津藩主松平容保が幕末の文久2年に京都守護職に就任、京都守護職の本陣となる。会津藩士のみで手が回りきらなかったため、守護職御預かりとして新選組をその支配下に置き治安の維持に当たらせた。
七条油小路
伊東甲子太郎は近藤に呼ばれ妾宅にて接待を受ける。酔わされた伊東は、帰途にあった油小路の本光寺門前にて新選組隊士により暗殺。伊東の遺体は路上に放置され、御陵衛士を誘い出す囮として使われた。
西本願寺・太鼓楼
池田屋事件で名を挙げた新選組は新規隊士募集で大所帯になったため屯所を西本願寺・太鼓楼等に移した。本願寺は新たな屯所を建設するという条件で撤退を要請、新しく建てられた不動堂村の屯所に移る。
島原角屋
島原花街で営業していた揚屋(料亭)で、新選組も常連であったと言われている。酒乱であった新選組の初代局長芹澤鴨が店の対応に腹を立て暴れまわったと言う話が残る。隊員がつけた刀傷が生々しい。
霊山歴史館
全国唯一の幕末・明治維新の専門歴史博物館として昭和45年(1970)、有志の人々によって建立。江戸中期以降、とりわけ天保期後の諸藩志士をはじめ朝廷、公卿、諸侯、藩主、文人、画家などの各種資料などの収集。
上記は京都の「新選組ゆかりの地」を挙げてみました。全て拝観することは出来ませんが、お客様の興味・お時間にあわせて、プランを設定いたします。お気軽にご相談下さい。【観光見所エリア別】