三室戸寺の蓮が見頃です。
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京都の「坂本龍馬ゆかりの地」を挙げてみました。全て拝観すると6時間程度必要かと思いますが、お客様の興味・お時間にあわせて、プランを設定いたします。【観光見所エリア別】
寺田屋
寺田屋騒動で有名。文久2年(1862)、薩摩藩士有馬新七等30余名が、藩主島津久光方と乱闘となる。殉難者は、大黒寺に葬られた。坂本龍馬が新選組に襲われた際のピストル弾の跡、刀傷が残る。女将お登勢の気転によっ難をまぬがれた。
池田屋跡
元治元年6月5日、祇園祭の宵々山に池田屋事件が起こる。新選組は34名の隊士を二手に分け、近藤は池田屋にのりこみ20数名の尊攘過激派と戦った。9名討ち取り4名捕縛。この事件により、新選組の名は天下に轟く。
酢屋
龍馬通という。坂本龍馬は海援隊京都事務所を構え、自身もこの酢屋に下宿した。幕末当時、「酢屋」の前は高瀬舟の舟入場だったといい、この地で材木商を続けて、現在10代目。二階は、「龍馬ギャラリー」として見学。
土佐藩邸跡
木屋町通蛸薬師の南側にある立誠小学校跡がかつての土佐藩邸跡。坂本龍馬が暗殺された、近江屋とも非常に近い。明治4年まで土佐藩邸は、この地にあった。
土佐稲荷
創建は1348年(貞和4)。もとは鴨川の中洲の岬にあった。江戸時代の初め頃に土佐藩邸内に移されたもの。参拝のために特に藩邸内への通り抜け参拝を認めた。また、境内には坂本龍馬の像がある。
楢崎家跡
坂本龍馬の妻・お龍の実家跡と伝わる。お龍は青蓮院宮に使える医者で楢崎将作の長女。父亡きあと、母と妹が河原屋五兵衛方に居住する土佐亡命志士の賄のため住み込み、ここで、お龍と出会ったといわれる。
長州藩邸跡
かつて長州藩の藩邸。ここに長州藩邸跡の石碑と桂小五郎像が建つ。東側には、料理旅館「幾松」がある。恋人・幾松(後の松子夫人)と桂小五郎との木屋町寓居跡。
霊山歴史館
全国唯一の幕末・明治維新の専門歴史博物館として昭和45年(1970)、有志の人々によって建立。江戸中期以降、とりわけ天保期後の諸藩志士をはじめ朝廷、公卿、諸侯、藩主、文人、画家などの各種資料などの収集。
坂本龍馬墓(京都護国神社)
幕末・維新の志士や、第二次世界大戦の京都府出身の戦没者の霊を祀っている。境内つづきの山腹には、維新の志士の墓が550基ほどある。なかでも坂本龍馬、中岡慎太郎・木戸孝允墓よく知られている。
明保野亭
現在は食事処とおみあげ屋。幕末は長州藩士がよく集まっていた料亭で、坂本龍馬が常宿し、倒幕の密議を志士たちと談合していたことで有名。
上記は京都の「坂本龍馬ゆかりの地」を挙げてみました。全て拝観すると6時間程度必要かと思いますが、お客様の興味・お時間にあわせて、プランを設定いたします。お気軽にご相談下さい。【観光見所エリア別】