三室戸寺の蓮が見頃です。
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日野誕生院
親鸞誕生の地で、親鸞は藤原一門の日野家の日野有範を父に母は吉光女の間に生まれる。日野法界寺(日野薬師)の東隣。
青蓮院
親鸞上人が出家得度した寺。境内には、親鸞上人の9歳の時の銅像と、上人の歌と伝える「明日ありと思う心のあだ桜、夜半に風の吹かぬものかは」の碑がある。
植髪堂
親鸞上人が青蓮院で得度した時に、剃り落とされた髪を植え付けたといわれている像を安置する。
崇泰院(元大谷)
本願寺発祥の地。これより北の大谷の地に納められていた上人の墓を、末娘・覚信尼が墓を移して廟堂を建て、本願寺の基礎となす。青蓮院の南側、知恩院の境内・崇泰院の裏庭。
大谷本廟
徳川家康の時代に、知恩院が拡張され、その地域にあった元大谷の祖廟を移転する。東山五条。
荼毘所
親鸞上人火葬の地。史上に「東山の西の麓、鳥辺野の南の辺、延仁寺に葬したてまつる」とあり、西本願寺では本廟境内地の北東にあたる。
六角堂
親鸞上人29歳の時、百日の念願を込めて籠もる。95日目に夢告げを得て、他力本願の念仏の道に入ったという。
延暦寺根本中堂
親鸞聖人は、満9歳で第62世天台座主慈鎮和尚のもと青蓮院で得度した。
延暦寺西塔
聖光院跡・常行堂。親鸞聖人は、大乗院での勉学ののち、西塔聖光院において常行堂の堂僧として修行に励んだといわれている
延暦寺横川中堂
親鸞聖人が主に勉学されたのが「横川」。慈円が検校であった横川の楞厳三昧院の常行堂において、不断念仏を修する「堂僧」として勉学に励んだといわれている。
六角堂
親鸞聖人はこの六角堂に百日參籠され、95日目の明方に聖徳太子の示現の文を得られたと伝えられている。この示現によって、吉水の地に庵を結んでおられた法然上人をたずね、浄土真実の教えに出遭った。
岡﨑別院
吉水時代、親鸞聖人はこの地に庵をむすび、ここから吉水の法然上人のもとへ通った。1801(享和1)年、東本願寺第20代達如上人の時、堂宇を建立して御坊としたのがはじまり。《岡崎道丸太町東入ル北側》
安養寺
親鸞聖人は、ここ吉水の地に通い、法然上人から浄土真実の教えを聞いた。近くの弁天堂の境内に「吉水」と彫られた古井戸がある。
光円寺
聖人の入滅の地に関しては諸説があるが、寺伝によれば当地で入滅し、御遺体は事情があって善法院に移されたという。《松原通新町西入藪下町》
善法院
1262(弘長2)年、親鸞聖人90歳のとき、この善法院において念仏の息が絶え往生の素懐をとげる。以前は校庭に「見真大師遷化之旧跡」と刻まれた石碑が建っていたが、今は裏門片隅に移された。
延仁寺
親鸞聖人お亡くなりの後、鳥辺野の延仁寺あたりで荼毘にふされた。この地に1883(明治16)年東本願寺第21代厳如上人の命により荼毘所が設置。
崇泰院
1272(文永9)年、親鸞聖人の末娘である覚信尼は、東山西の麓、大谷の地に納められていた墳墓を改め、廟堂を建て、親鸞聖人の御影像を安置した。これが大谷祖廟の起源であり、本願寺の始まりである。
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