地主神社

【地主神社】
《祭神・大国主命(おおくにぬしのみこと)、素戔鳴尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫(くしなだひめ)他2柱》
 八坂神社とともに東山方面における古社の一つであるが、その創祀年代を明らかにしない。おそらく愛宕郡八坂郷の産土神として、この地の先住民から崇敬されていたのが、清水寺の創建によって寺の地主神とされてしまったものであると思われる。972(天禄3)年の臨時祭に円融天皇が行幸されたことから、鎮座の古いことが察せられる。延喜の式外社であるが、むかしは氏子区域もひろく、鴨川の西にまでおよび、祭礼も盛大をきわめたという。もとは地主権現と称したが、明治の神仏分離によって独立し、現在の名に改めた。境内には古来桜が多く、世に地主桜として名高い。

■本殿[重文] 1633(寛永10)年徳川家光によって再建される。入母屋造と権現造の様式を兼ねた檜皮葺の建物で、一間の向拝をつけている。建築は細部にわたって桃山風の名残をみせる華麗な建物。
■拝殿[重文] 入母屋造、檜皮葺。背面に軒唐破風を付け、天井には狩野元信筆と伝える画竜が描かれている。
■総門[重文] 切妻造、棧瓦葺、典型的な腕木門で、組物の蟇股などいっさい使用しない簡素な構造になっている。両袖に太い木柵を設け、玉垣としているのが面白い。
■めくら石(恋占いの石) 一方の石より他方へ眼をとじて歩くことができれば、所願成就するといわれる。近年、アメリカの原子物理学者・ボースト博士の研究により、本殿前の「恋占いの石」が縄文時代の遺物であることが証明されましたという。
■地主桜 古来「地主権現の花盛り」と謡曲「田村」や「熊野(ゆや)」にうたわれ、詩歌にも数多く詠まれた。一に「車返しの桜」ともいい、明治維新までは毎年花時にこの一枝を宮中に献上する慣わしになっていた。