安養寺

【安養寺】《時宗正法寺派》 ℡075-561-5845
 延暦年間、最澄の開創とつたえ、もとは天台宗の別院であったが、のち※慈円(じえん)和尚が中興して青蓮院に属した。慈円はここに吉水房を営んで隠居所とし、法然上人はここで浄土教を広め、これを吉水禅房と称し、親鸞もこの禅房で法然の教えをうけた。吉水とは境内に湧き出る泉に因んだといわれる。寺はその後荒廃、至徳年間(1384~7)国阿上人が入寺し、時宗に改めた。江戸時代には知恩院の建立によって寺地の多くを割かれたが、なお境内子院に六坊を有し、風流行楽の場として栄えた。維新後、数度の火災によって寺運は衰微、本堂と書院、弁天堂および料亭として左阿弥を残すばかりで、旧子院跡は公園の敷地内に入っている。
※慈円 関白藤原忠通の子で九条兼実の弟にあたる。1192年(建久3)天台座主となり、当代屈指の名僧である。

■阿弥陀石仏 本堂前、北側にある。高さ1メートル余り、花崗岩製。定印をむすび、蓮座上に坐す厚肉彫りの阿弥陀像で、お顔は温雅にして衣文線も多い。
■弁天堂 門前下段の地(飛地境内)にある。ここに祀る弁財天女は慈円僧正が比叡山より勧請したとつたえ、古来技芸上達祈願の信仰厚く、世に「円山の弁天さん」として今なお祇園花街の人々の信仰を集めている。
■吉水ノ井 「きっすい」とも読む。もと弁天堂北側にあった小さな池であったが、今はその上に堂舎が建っている。古来名水の一つとしてたたえられ、この水に因んでこの地の地名となった。慈円僧正は常にこの水を汲んで閼伽の水としたが、歴代青蓮院法親王もまた一代初度の行法にはこの水を閼伽に用いたという。
■慈円僧正塔[重文・鎌倉] 弁天堂の背後の一隅にある。慈円僧正の供養塔。高さ3メートル、花崗岩製の宝塔で、壺形の塔身正面に扉をひらき、多宝・釈迦二仏が並ぶ姿を浮き彫りにしている。慈円僧正の墓は、善峯寺にある。
■左阿弥 円山安養寺六坊中、現存する唯一の遺構で、料亭となっている。長寿庵ともいい、江戸初期、織田頼長によって創建され、庭園もその時の作庭という。頼長は慶長19年(1617)大阪冬の陣の戦に敗れ、父長益(ながます)(信長の弟)とともに出家した。父は有楽斎と号し、建仁寺塔頭正伝寺を再興して余生を茶道三昧にすごした。頼長は雲生寺道八と号してこの地に隠棲し、39歳で没した。門内右手上段の一隅には、頼長の墓とつたえる高さ4メートルの巨大な五輪石塔(江戸)がある。           
参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より